◇ 破魔矢堂 徒然館 ○ 旅 行 記 ■ 熊野詣徒然 |
2001/04-28〜05/01 熊野牛王又は宝印神符ともいい、俗に「オカラスさん」とも呼ばれる。烏文字でかかれた熊野山独特の御神符。 上の図で分るように、三山(本宮・新宮・那智大社)それぞれは若干異る。牛王の名称については諸説あるとのことであるが、牛胆から得る牛黄(牛王)という霊薬を密教で加持祈祷に用い、これを印色として護符に使ったことから牛王宝印と称したものと考えられている。(速玉大社・神符包みの裏解説より) 色々の誓約(起請文)に用いられたのが有名だが、家屋玄関に貼れば盗難除や厄祓・家内安全の神札ともなる。 第一日目
早朝、東京から名古屋経由新宮へ・・・ 名古屋まで二時間くらいなのに、名古屋−新宮は三時間! さすが新幹線は速いですね (^^; でも合計でこれだけ時間かかれば海外行けますねぇ・・・ 新宮では手始めに直ぐ近くにある徐福公園へ。狭い・たいした事無い(←オイオイ)・・・ご立派な中華風楼門は目立ってました。 さくさく移動して次に向かったのは阿須賀神社。 此処は熊野速玉大社旧摂社だそうで。社殿の裏の山はなんと「蓬莱山」と呼ばれているんですねぇ。おお、蓬莱山。 脇に竪穴式住居跡がありました。 次は神倉神社。入る場所間違えて駐車が出来ない・・・ でもなんとかなりました。駐車スペースを貸してくださった御近所のおばさん、ありがとう〜 神倉神社・・・538段の急な石段・・・ これが体力への挑戦第一弾。登る時、段数は気にしてなかったんですけど、いやぁ〜疲れた。健康的な散策(?!)の後に 辿り着いたてっぺんの景観はなかなか。ちょっと曇り気味でしたが、下界を見下ろして気分が良いです。 まずは、この神社の御神体「ゴトビキ岩」へお参り。ゴトビキ=ヒキガエル・・・ 確かにそう言われるとそう見える・・・なかなか壮観でした。 嗚呼、今度は下りが待っている・・・そういえば、ご近所の子供がこの階段で銃撃戦を繰り広げていました。この階段と子供の頃から慣れ親しむのね。 次の目的地は熊野速玉大社 熊野三山の一つでございます。でも見た目新しすぎて、趣無い・・・。 こんなもんかと思いながら、次なる目的地の花の窟神社へ移動。 人もいないし、雰囲気はなかなか。 高さ70メートルの巨大な岩盤が御神体。さすが迫力ありますねぇ。 徐福関連制覇ということで、次に向かったのは「徐福宮」 秦の徐福の墓に隣接して建てられた小さな祠です。 ここでもちょっと歩いたかな。人は誰も歩いていません。畑の中やら民家の間を通ってひたすら歩きました。う〜ん、健康的だ。 一日目はこれにて終了。ペンションに宿泊したのですが、日が落ちた上に山の中で、場所が分らず・・・明るいうちに辿り着くものですねぇ (^^; まあなんとか到着して寝ることが出来ました。(笑) 第弐日目
まずは三山の一つ熊野本宮大社。さすがメジャーで、人もいっぱい。神社グッズを幾つか購入 (笑)
写真撮影お断りと書いてあるのに平気で撮影していた方々が・・・日本語読めんのかい! ここから少し離れた所に大斎原と呼ばれるところがあり、ここが本来の社地だったとか。 大洪水でほとんど流されたので、現在の場所に遷座したそうな。 今も大斎原には小さな石祠ありました。雰囲気もなかなかのもで、人気もなく良い感じでございました。 雨だ雨。降り始めたぞ〜・・・そんな中、玉置神社へ参拝に向かいます。 山なんですねぇ、雨なんですねぇ・・・我ながら物好きだわ。 しかし、雰囲気は素晴らしい。そこそこ歩く山道・・・雨に煙り高く聳える木々・・・幽玄な深い趣の景観でありました。 玉置神社は熊野三山の奥の院とされる古社らしいです。納得。 本殿・社務所からさらに山奥に入ると、凝りずにまだ登って末社の玉石社へ。 嗚呼疲れた。雨止まないかな〜〜〜と思いながら下ってくると、甘酒が振る舞われているではないか! 私もご相伴に預かりました。おいしかった。 雨の日も良いものだ・・・と思い込む。そうです、信じるものは救われる (笑) 前日が慌しかったので、この日はさっさとペンションに引き返す。二日目も無事終わり。 第参日目
なんとか空も泣き出さず、そこそこ行けそうな感じの日。
今度は王子攻略に走りました。 最初の攻略ポイントは「祓戸王子」 ちょっと迷ったけどなんとか行き着く。熊野本宮大社の裏手にあります。 次は「伏拝王子」 和泉式部が熊野に参詣しようとここまで来て、 「晴れやらぬ身のうき雲のたなびきて月の障りとなるぞ哀しき」 と詠んだのに対し、熊野権現が 「もとよりも塵にまじはる神なれば月の障りも何か苦しき」 と応えて、和泉式部が参詣する事ができたという伝説があります。 これにちなんだ和泉式部供養塔が隣に建てられています。 下の道から此処まで歩いたのですが・・・死にます。ひたすら何処に有るかわからな い場所目指して登る。登るひたすら登る 心臓が反乱起こしてました。膝も笑って・・・暑い・・・うぅ。 そして更なるショックが・・・・ なんと車で来れる道があったんですねぇ・・・。 何か神様のお怒りに触れるようなことしたっけか? それとも実は日ごろの行いが・・・?! (笑)まあ、その行程も楽しかったです。 さくさく回復して次なる場所へ。 「発心門王子」。此処は前の王子と違って、よく整備された場所でした。九十九王子の中でも特に重要視され た五体王子の一つということです。鳥居もありましたし、なかなか。 王子はこれくらいにして、次なる目的地、那智大瀧へ向かいます。宿はこの近くに取ったので、チェックインしてから見学に。 宿から道を下ると、飛瀧神社の鳥居にたどり着きました。此処も又階段。何処に行っても歩くんですねぇ熊野は。 水の量が若干少なかったですが、やはり現物は壮観。いやぁ、一度は拝みたいですね。 延命長寿なる「那智御滝水」もあって、神杯は100円でお持ち帰りOK。勿論頂いてまいりました。 これでお酒飲めば霊験あらたか・・・?(私は飲酒に興味無いですけどね ^^;) 第四日目
いよいよ最終日。
起床して直ぐに再度飛瀧神社へ散歩。雨も止んで朝のうちは日も差して、なかなか清々しい。 杉並木も又違った雰囲気で、瀧も壮観。此処でも神社グッズをゲット♪ 「心願成就 神剣一振」 宿を出て、次なる目的地の熊野那智大社・青岸渡寺へ 此処の参道は473段の石段。 なんだ、たいした事無いじゃないか・・・伏拝王子気の遠くなるような行程より遥かに楽。 さすが観光地ですねぇ。ちゃんと整備された石段でした。初日に石を積み重ねただけ みたいな神倉神社の石段を経験してしまえば恐れることはない。 おまけに土産物屋まで脇に並んでいるし。そして初めて置物の八咫烏を発見。名付けて八咫ペンギン(笑) だってペンギンみたいなんだもん。一対買って帰りましたとさ。 上り詰めると熊野那智大社。今回最後の熊野三山の一つです。 熊野那智大社参拝の後、隣接した那智山青岸渡寺へ。此処は西国第一番札所になっています。御朱印はなかなか良かった・・・梵字はキリク。 青岸渡寺参拝の後、宝物殿を覗きに行きました。このあたりはさすがに観光客が多かったですが、那智大社の宝物殿は人がいません。ラッキー。なんだかんだで階段を降り、次なる目的地の補陀洛山寺へ。 補陀落渡海_観音浄土への往生を目的として生きながら屋形船に閉じ込めて海に流す儀礼は、この寺の前の浜で行われていたようです。 境内には歴代の渡海上人の名を刻んだ石碑があります。住職さんの話だと、昔この寺の住職は61歳になったら補陀落渡海しなければならないという習慣 が有ったそうです。ところが、江戸時代に金光坊という住職が渡海船を毀して島に脱走、そんな一大事件が起きたとか。 これをきっかけとして、生きたままの渡海から死後の渡海(要するに補陀落渡海の儀礼に準じた水葬)に代わったという事です。 更に親切な住職さんは鍵を開けて三貌十一面千手観音を拝観させてくださいました。やはり日頃の行いがものを云う・・・? 今回の予定はこれでクリア。この後昼食を食べて帰路についたのでした。これだけ階段登り降りして筋肉痛にならなかったということが一番の驚き(笑) 短い日数で、天気もちょっと・・・という旅でしたが、十分堪能して参りました。 ■■ 了 ■■
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